八百長の歴史 相撲の始まり・起源はいつ?八百長は江戸時代から始まっていた? - 大相撲 八百長

八百長の歴史 相撲の始まり・起源はいつ?八百長は江戸時代から始まっていた?

大相撲八百長問題で揺れていますが、そもそも国技といわれる日本の相撲はいつ始まり、八百長というものはいつ頃から行われるようになってきたのか?


神話時代・古墳時代に始まった相撲(格闘技)



日本の相撲歴史・起源は、諸説ありますが、「古事記」(神話)にはタケミカヅチの神が出雲を平定する際に、出雲のタケミナカタの神がタケミカヅチの腕をつかんで投げようとした、という描写があります。
これが相撲の起源ともいえますが、神話なので「古い」だけで年代の特定ができないのと、人間ではなく神様同士の戦いとされているので…

人間が行った相撲で、記録に残る一番古いものだと、今から二千年前というのがあります。
日本書紀」には紀元前23年野見宿禰のみのすくね:埴輪・はにわの元祖といわれる)と、當麻蹶速たいまのけはや)という強者同士が、主に蹴りを主体とする「格闘技」で戦ったという記録がありますが、最後に野見宿禰が當麻蹶速の腰の骨を折って絶命させてしまったそうです。しかもこれが賞賛されることだったらしく、相撲というよりどちらかといえば実戦的な武道や武術の起源なのでしょう。実際にこの歴史は「柔術の起源」にもなっています。説によっては、これを相撲の起源としない見方も強いようです。

野見宿禰のみのすくね)と當麻蹶速たいまのけはや)の相撲を描いた絵馬(花巻市・早池峰神社)の画像
野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)の相撲を描いた絵馬

ちなみに最古の横綱?である野見宿禰(のみのすくね)は、史上最強の力士であるとされていて、あちこちにお奉りしている神社があるそうですね。

↓墨田区亀沢の野見宿禰(のみのすくね)神社の画像
野見宿禰(のみのすくね)神社
野見宿禰(のみのすくね)神社

また「古事記」の垂仁記には、初めて「力士(ちからひと・すまひひと・すまいびと)」の文字が登場しています。

さらに飛鳥時代には百済(朝鮮半島)の王族の使者をもてなすために、健児こんでい)という力士に相撲をとらせたという記述があります。

この時代には古事記や日本書紀意外にも、多くの古文献に相撲らしき記述があり、一般的にいわれる奈良時代以前から相撲といえるものは存在していたようです。


最古の女相撲は古墳時代?


記録に残る最古女相撲は、「日本書紀」によると紀元469年に雄略天皇の前で2人の女官が褌を着けて相撲をとったという記録があるそうで、これが日本における最古の女相撲の記録です。

↓友近の女相撲(笑)


相撲が正式に制定されたのは奈良時代 これが相撲の起源?


相撲に初めて「ルール」が導入されたのは奈良時代で、「突く殴る蹴るの三手の禁じ手・四十八手・作法礼法等」が紀元726年に正式に制定されました。

これが正式な相撲の起源とする説が強いようです。

また「続日本紀」には「全国から力自慢を集め、7月7日の七夕の日に宮中で聖武天皇天覧相撲を楽しんだ」という記述があり、天覧相撲てんらんずもう:天皇が鑑賞なさる相撲の試合)は1300年の歴史があるわけです。

↓「七夕と相撲の古代史」

当時はまだ土俵はなく、相手を倒せば勝ちの、今でいう「ガチンコ」でした。

ちなみにこの時代には相撲は「すもう」ではなく「すまい」と読んでいました。

貴族の時代・平安時代に様式美が強まり、ガチンコ衰退 そして細分化


この死者も出そうな格闘技であった相撲は、貴族の時代である平安時代になると神様に捧げる神事となり
髪の毛をつかむなどが禁じ手となり、初めて「まわし」が登場しました。
技の美しさや儀礼が重んじられ、「弓取り式」が登場し、芸能神事としての要素が強くなります。
この時の宮中では「三度節」として「射礼(じゃらい:弓を射る競技:弓道)」「騎射(きしゃ:馬に乗って弓を的に当てる競技)」そして「相撲」が行われ、壮大で豪華絢爛であったそうです。

この時期に神事・芸能としての相撲の様式は、ほぼ完成しているようです。

さらに平安後期になると、それまでは天皇や貴族しか見ることのできなかった神事である相撲(宮廷相撲)が
神社やお寺の祭礼で神や仏に捧げるために行われるようになり、「地域の催し物」すなわち「興業」という側面が登場します。
今でも神社などに土俵があって相撲大会などが行われる地域もありますよね?その紀元はこんなに古かったんですね。

ちなみにこの時代に、一般庶民による相撲は「草相撲」または「土地相撲
神社などで神事として行われる相撲は「神事相撲」といい、農作物の豊凶を占い、五穀豊穣を願い、神に感謝を捧げる神事でした。
武士が行う「武家相撲」は、武道の鍛錬であり、実践のための訓練の一種でした。

貴族・武士・農民にそれぞれ違った形の相撲が広まり、細分化していったわけですね。

戦国の武士の時代には格闘技となり、再びガチンコ復活


貴族が衰退する鎌倉・室町・安土桃山時代には相撲は再び武道・ガチンコ勝負となります。

戦国時代大名達は各地から力自慢の相撲人すまいびと)を集めて自分たちの家臣として抱え
相撲鑑賞に興じたり、またその中で特に強い相撲人は、元農民であっても武士になることもあったそうです。

当然のことながら、大名の前で行う「御前試合」はガチンコの真剣勝負。

ことに織田信長は大の相撲好きで、安土城で上覧相撲(将軍の観戦する相撲の試合)をやらせ、優勝者に自分の弓を与えたそうで、これを「弓取り式の起源」とする説もあるそうです。

ここまでガチンコ様式ガチンコと来ましたが、「八百長」というのはさすがにまったく登場していません。
それでは、相撲の歴史上「八百長」が初めて登場したのはいつなのか?

それは徳川家康の天下統一が行われて、武家社会でありながら超安定社会を実現した江戸時代になります。

↓江戸時代の「大相撲」の黎明期に八百長をさせられた力士「雷権太夫」の物語・横綱誕生秘話(以下引用)
大相撲黎明期を綴る三つの物語。相撲に志を抱くも、八百長相撲ばかり取らされてきた雷権太夫は、幕府により禁止されていた勧進相撲を復活させようと町奉行所に掛け合う。最強の力士は誰だ?圧倒的な強さで勝星を重ねる谷風、その最大の好敵手・小野川、そして伝説の力士・雷電―。江戸相撲黄金期に繰り広げられた名勝負。明治政府の欧化政策により勢いを失っていた相撲界。陣幕久五郎はその再生のために力士顕彰事業を思いつく。番付最高位“横綱”誕生の秘話。



↓江戸時代の力士のすべて!






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